アントニーとクレオパトラ Antony and Cleopatra

中湖 康太

アントニーとクレオパトラは、ジュリアス・シーザーの続編ともいえる作品です。題名からすれば、アントニーとクレオパトラの関係を中心にした歴史的大ロマン、悲劇がメインテーマです。しかし、私には、アントニーとクレオパトラとの関係より、アントニーとそのライバルであるオクタビアス・シーザーとの統治者としての資質の違いを浮き彫りにした物語であるように映ります。オクタビアスは、アントニーとクレオパトラを破り、後にローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスとなった人物です。 

アントニー 対 オクタビアス

武人としては優れていても、アントニーは、クレオパトラへの情愛に惹かされ、自らの強みである陸戦に持ち込むべき、との部下の忠言に耳を傾けることのできず破滅した人物です。もっとも、人間誰しもが多かれ少なかれ、このような性向を持っているのでしょう。しかし、人の言葉や忠告に耳を傾け、思慮することができなければ、自ら持って生まれた悪い性向に支配されてしまうことになるのではないか、と考えさせらます。 

一方のオクタビアスは、シーザーの姪の子で、シーザーから後継者として生前にその指名を受けた者として、シーザーの死後、若干18才で登場する無名の青年です。シーザーの遺言を自らの天命として、冷静沈着に、着実に実行する人物です。

次の2つ場面が、この戯曲のハイライトであると思います。

強みである陸戦を捨て、不利な海戦に挑むアントニー

第一は、陸戦を得意としながら、部下イノバーバスの直言に耳を傾けず、意地とクレオパトラの言葉から、オクタビアスが誘う海戦に、突入してしまうアントニーの愚かさです。

アントニー Antony
カンディアス、我々は奴と海で戦うぞ (Canidius, we will fight with him by sea.) 

クレオパトラ Cleopatra
海で戦わなければ、どこで戦うの? (By sea! What else?) 

カニディアス Canidius
どうして、そうなさるのですか? (Why will my lord do so?) 

アントニー Antony
奴がそれを挑むからだ (For that he dares us to’t.)

イノバーバス Enobarbus
あなたの船団は十分な水兵を備えていません。水兵とはいっても、馬方、草刈り人など、取り急ぎかき集められた者たちです。これに対して、敵兵は、ポンペイの戦いで練磨した強者です。敵の船団は素早く、あなたの船団は動きが重い。海戦を避けたからといっても、あなたの武勇の不名誉にはなりません。陸戦に持ち込むべきです。
(Your ships are not well mann’d, – Your mariners are muleters, reapers, people, inogrost by swift impress; in Caesar’s fleet. Are those that often have ‘gainst Pompey fought: Their ships are yare; yours, heavy: no disgrace shall fall you for refusing him at sea. Being prepared for land.)

アントニー Antony
海で戦うのだ、海で戦うだ。(By sea, by sea.) 

イノバーバス Enobarbus
最も肝心なことは、海戦を挑むということは、陸戦の絶対的な強みをお捨てになるということです。あなた様の軍隊は、陸戦の強者です。それを敢えて使わないことになります。陸戦こそあなた様の誉れ高き強みです。それをお捨てになり、確実な戦いを、不確実で、偶然なものにしてしまうのです。
(Most worthy sir, you therein throw away. The absolute soldiership you have by land; Distract your army, which doth most consist of war-markt footmen; leave unexecuted your own renowned knowledge; quite forgo the way which promises assurance; and give up yourself merely to chance and harzard, from firm security.)

アントニー Antony
俺は海で戦うのだ。(I’ll fight at sea.)

クレオパトラ Cleopatra
私は60隻もの船を持っています。シーザーが敵うわけがありません。
(I have sixty sails, Caesar none better.)

アントニー Antony
敵より多い船はあえて焼いてしまおう。そして、残りに十分な兵隊を乗せて、アクティム岬からシーザーを迎え撃つのだ。もし、それがうまくいかなかったら、陸で戦えばよいのだ。
(Our overplus of shipping will we burn; And, with the rest full-mann’d, from the head of Actium. Beat the approaching Caesar. But if we fail, we then can do’t at land.)
(第三幕・第7場)

一方の、オクタビアスは、自らの得意とする海戦に持ち込むべく徹底するよう指示を出します。

オクタビアス・シーザー Octavius Caesar
陸で戦ってはならない。よく抑制するように。海戦に持ち込むまでは、戦いに挑んではならない。この作戦書の範囲を越えてはならない。この一戦に我々の命運はかかっている。
(Strike not by land; Keep whole: provoke not battle, Till we have done at sea. Do not exceed. The prescript of this scroll: our fortune lies. Upon this jump.)
(第三幕 第8場)

アントニーとオクタビアスの運勢: 内なる声に耳を傾けることができす運命に支配されたアントニー

第二は、アントニーとオクタビアスとの対峙した場合の運勢、星の違いです。アントニーが占い師に、自らをオクタビアスのどちらに運があるかを聞きます。劇では、実際の場面として占い師が登場しますが、私は、これは、アントニーの心の奥に響く自身の言葉、内なる声ではないかと思います。アントニーは、自らがオクタビアスと対峙すれば、負ける、あるいは劣勢に立たされるであろうことを無意識に感じとっているのです。アントニーにもっと思慮があれば、賢明であれば、自らの内なる声に耳を傾け、オクタビアスと和平するなり、直接的な対決を避ける異なる行動をとることも可能だったのではないか、と思うのです。 アントニーは、あまりに感情に支配された人物のように思われます。

アントニー Antony
言ってみろ。シーザー(オクタビアス)と自分とどちらの運勢がより強いのか?
(Say to me. Whose fortunes shall rise higher, Caesar or mine?)

占い師 Soothsayer
シーザーです。それ故、アントニー様、シーザーの側からお離れ下さい。あなたの運勢は、シーザーのいないところでは、誉れ高く、勇敢で、比類なきものです。しかし、シーザーの近くでは、あなた様の天使は、恐れおののいてしまいます。それ故、シーザーとは距離をおいてください。
(Caesar’s. therefore, o antony, stay not by his side: thy demon, that’s thy spirit which keeps thee, is noble, courageous, high, unmatchable, where Caesar’s is not, but near him, thy angel becomes a fear, as being o’erpower’d: Therefore, make space enough between you.)

アントニー Antony
もう喋るな。(Speak this no more.)

占い師 Soothsayer
あなた様の運勢は比類なきものです。しかし、シーザーだけはいけません。シーザーに向き合えば、あなた様は必ず負けます。それが天の運勢です。見込みが不利であったとしても彼はあなたを負かすでしょう。シーザーの側にあっては、あなたの運勢はしぼんでしまいます。もう一度言います。あなたの守護神は、シーザーの近くでは恐れて働くなります。彼から遠ざかれば、あなたを守護するのです。
(To none but thee; no more, but when to thee. If thou dost play with him at any game, thou art sure to lose; and, of that natural luck, he beats thee ‘gainst the odds: thy lustre thicknes, when he shines by: I say again, thy spirit is all afraid to govern thee near him; But he away, ‘tis noble.)

アントニー Antony
失せろ。(Get thee gone:)
(第二幕 第3場)

姪の子という、必ずしも近い姻戚関係にあるとは言えない、オクタビアスを自らの後継者に指名していたジュリアス・シーザーの目は節穴ではなかったということでしょう。オクタビアスの資質は、「終わりよければすべてよし」のヘレナの資質に近いように思います。

そして、そこにシェイクスピアの世界観があります。冷静沈着な賢明な思考と、行動力を持ち、かつ天の加護を得た人こそ、天の加護にふさわしい行動をとる人こそ、世の統治者となる、人生の勝者となる、ということです。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」
「戦わずして勝つ」

オクタビアス・シーザー、後のローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは、これを体現した人物であるといえるでしょう。

(2015.1)

 

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