常盤台住宅地を特徴づけた分譲時の決定的要因

中湖 康太
常盤台住宅地建て売り資料分析.pdf
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全てを説明する1つのキーファクター

田園調布、成城との違い

以下に、常盤台住宅地の分譲時の特徴を決定づける1つのキーファクターについて説明しています。それに先立ち、田園調布、成城との違いについて述べたいと思います。

常盤台住宅地には分譲時多くの多区画購入者がいました。これらの所有者は既に自己の居住用の住宅を保有しています。したがって、戦後の食糧難が解消した時点で、更地、農地から収益目的の共同住宅や駐車場用途として土地を利用しようとする誘因が働きました。

常盤台には共同住宅、駐車場が田園調布、成城に比べて多いということが言われますが、これは、多区画土地所有者による土地活用が要因になっている場合が多いと推定されます。相続等の問題で売却され、細分化されるケースも多いわけですが、常盤台という景観の優れた住宅地の稀少性から、自己居住用でなくとも保有し続ける土地所有者が多いのが常盤台の特徴なのです。

用途規制に対する警戒の理由

田園調布や成城では街の憲章(自主規制)や条例、地区計画などで、良好な景観維持を目的に共同住宅や駐車場などでの利用を抑制、制限、禁止する規制が存在します。常盤台では良好な景観維持を重視しつつもこのような用途制限に対して土地所有者は必らずしも諸手を上げて賛成ではないのです。これが、平成初頭の地区計画導入案に対して地権者等の意見がまとまらなかった要因の1つであると推定されます。

敷地規模拡大、多区画購入者、農地 ・・・Why?

昭和11年秋に分譲が開始された後、約10年の販売期間にわたって、①敷地規模が拡大していったこと、②多区画購入者が増加したこと、③恐らく昭和15年以降、分譲された土地に建物が建てられることなく農地として利用されたことを前回述べました。

東武鉄道が当初に想定したのは中産階級サラリーマンです。その典型的な需要者が求めるモデル住宅は、東武鉄道が広告宣伝、販売促進のために行われた昭和11年第1回の建て売り住宅に見ることができます。

なぜ16社あった建て売り業者が東武鉄道のみとなったか?

建て売りは昭和11年から昭和15年まで6回にわたって行われました。昭和11年の第1回、昭和12年第2回には、東武鉄道を含む16社が建て売りをしました。しかし、昭和13年の第3回以降は、建て売り主は東武鉄道のみになります。この背景にあるのは何か? 

昭和11年、12年に参加した建築会社が、なぜ昭和13年以降姿を消したのか?「常盤台住宅物語」(板橋区教育委員会)では、これについて『どのような経緯により、東武鉄道が設計施工を行うようになったのか、現在までにそれを裏付ける資料は見つかっていない。』(p.22)としています。

何がキーファクターか?

「常盤台住宅物語」(板橋区教育委員会)は、主として建築の視点からまとめられた優れた調査研究資料です。『東武鉄道は開発に先立ち、購入者のターゲットを中産階級に設定していたが、実際に購入が可能な人は、その設定よりもかなり上層に位置していた人々であり・・』と述べています。

また、建て売り価格について『昭和13年度・・・価格は、最低7,000円代から最高15,000円台まであるが、総じて高くなっている傾向がみられる』としています。さらに、『前述のように、昭和15年度以後、戦時体制に伴う各種規制により、住宅建築が困難になる。常盤台住宅地も例外ではなく、建て売り住宅の建設は昭和15年を最後に行われていない』と説明しています。

これらは全てもっともな見解です。しかし、なぜ需要者が中産階級から富裕者層に上がったのか? なぜ多区画購入者が増えたのか? なぜ昭和13年以降建て売りが東武鉄道だけになったのか? なぜ建て売りがなくなったのか? なぜ更地のままとされたのか? 農地として利用されたのか? という疑問に対する回答はなお明快ではありません。ただ、同資料はそれに明快な答えを与えてくれる材料を提供してくれています。優れた資料であるゆえんです。

建築費の急激な上昇

これらの問に答えるのが、建築費の急激な上昇です。勿論、様々な要因が重なり合っていますが、これこそが全てを説明するキーファクターです。それを数字で示したいと思います。「常盤台住宅物語」には『資料1 常盤台住宅地分譲パンフレット』が掲載されています。この資料から各年の土地坪単価、建物坪単価を算出しました。昭和1219棟、1321棟、155棟の建売住宅について、土地と建物の坪数と販売価格が示されています。これらの個々の価格、坪数から各年の土地坪単価、建物坪単価を計算したのが、添付資料「常盤台住宅地建て売り資料分析」です。平均の敷地面積()、建物面積()も示しています。ここでは各年の平均の数字について述べたいと思います。

昭和12年の建て売り住宅19棟の土地坪単価(平均、以下同じ)30.90円、建物坪単価は124.54円。平均敷地面積は106.97坪。

昭和13年の建て売り住宅21棟の土地坪単価は33.32円、建物坪単価は175.65円。平均敷地面積は135.14坪。昭和12年の平均に対して、土地坪単価は+7.83%、建物坪単価は+41.04%上昇しています。平均敷地面積は+26.3%

昭和15年の建て売り住宅5棟の土地坪単価は32.76円、建物単価は283.51円。平均敷地面積は142.60坪。昭和12年の平均に対して、土地坪単価は+6.03%、建物坪単価は+127.64%2倍以上に高騰。平均敷地面積は+42.6%

以上をまとめると次のことが言えるでしょう。つまり、土地坪単価は昭和12年から15年にかけて微増でありほとんど同じです。それに対して建物坪単価は約2.3倍に跳ね上がっています。

独立系建築会社は建て売りから撤退

昭和11年、12年に参加した建築業者は、この建築費の急騰により、建物販売のみで利益を確保することが困難になり参加しなくった、建て売りから撤退したののです。東武鉄道にとっても同様ですが、東武鉄道には土地の開発利益がある分余裕があります。そのため昭和15年に建物坪単価が倍以上になっても建て売りを継続、売れ筋を模索したのです。しかしそれも困難になるにいたり、以後販売のターゲットを土地需要者、つまり富裕層に定めていくのです。

土地の相対価格の大幅な低下

東武鉄道が当初ターゲットとした中産階級が需要する土地と建物の相対価格(土地:建物)は昭和12年の1 : 4.03です(昭和11年は分譲パンフレットに土地価格と建物価格の明細がないので昭和12年をベンチマークとしてここでは検討を進めます)

土地の価格はほとんど変化がありませんので、土地:建物の相対価格で考察を進めます。

昭和13年には1 : 5.30、昭和15年には1 : 8.65です。物資、建築費の高騰により土地の相対価格が大幅に下落したのです。土地への投資の魅力がその意味において高まったと言えます。

非居住用の土地需要:富裕者層にターゲットを絞り直した東武鉄道

昭和15年にいたり建物価格の高騰により自己居住用として住宅を求める中産階級の購入可能価格を大きく超えてしまったのです。したがって、分譲地の需要者は既に自己居住用の宅地を持ちながら、さらに相対的に価格の下がった土地への投資に魅力を感じる富裕者層(多区画購入者を含む)になったのです。そしてこの層が東武鉄道にとって常盤台住宅分譲地の昭和10年代後半のターゲット、需要者層になっていったと推定されます。

2018/4/12

中湖康太

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