東武鉄道社史における常盤台住宅地の評価

中湖 康太

東武鉄道社史における常盤台住宅地の評価について見てみたいと思います。

ほんの数行の東武鉄道65年史

東武鉄道65年史[1]では、常盤台住宅地について驚くほどわずかにしか触れられていません。つまり、

『土地分譲地については、昭和9年から10年にかけて現在の東上線ときわ台駅附近の分譲のほか、梅島、竹ノ塚駅周辺の土地分譲を行ったが、これは沿線開発を主目的としたものであって、営業を目的として土地分譲を実施したのは大体昭和25年以降である。』

というものです。これは常盤台住宅地は土地分譲の独立した事業としては期待した収益をあげえなかったということを示唆していると言えます。

これまで述べてきたように常盤台住宅地の分譲開始翌年の昭和12年には日中戦争に突入、昭和16年には太平洋戦争勃発、物資価格、建築費の高騰により昭和10年代半ばには住宅の建築は困難になるという時代背景があります。

ユニークな街づくりとして再評価された東武鉄道百年史

東武鉄道百年史[2]では、ユニークな街づくりの観点から常盤台住宅地の再評価が行われています。「初の不動産分譲」(第4章第7節)の中で、「(1)東京郊外地の開発」、「(2)クルドサックのある街」という2項、6ページにわたり扱われています。

さらに「ユニークな街づくり常盤台」という見出しの下で、阪急、東急の”先輩格の私鉄沿線開発”に触れたあと、『当社の常盤台住宅地も、この流れのなかの一環ではあったが、のちにユニークな街づくりとして評価されることになるのである』と述べられています。

「優美な分譲住宅地の出現」の下では、理想的な街づくりを目指した根津社長の判断で、当初の同社建築掛による碁盤目の街路デザインを白紙にもどし、内務省に設計を依頼したことが述べられます。

『当社は常盤台地区24.3haを、都市計画法による自社単独の土地区画整理事業として、宅地造成に取りかかった。建築掛の当初の計画は、従来の碁盤目の区画割である。だが、理想的な街づくりをめざしていた根津社長は、住宅地全体のデザインを、従来型とはまったく異なる理想でとらえ直すために、白紙にもどし、内務省および都市計画東京地方委員会の全面的な指導によることとした。ユニークな都市デザインは、この過程から生まれたのである。・・(中略)・・設計者は・・・内務省官房都市計画課に勤務中の若干20代の青年、小宮賢一であった。・・・』

とし、小宮賢一が設計に際して上司から与えられた条件、プロムナード、クルドサック、ロードベイなど常盤台住宅地の特徴が述べられ、さらに、”児童公園”が東武鉄道から東京市に無償提供され”常盤台公園”と名づけられたことに言及されています。この評価は、ほとんど後述する都市計画の専門家である越沢明氏のそれにならったものです。

事業としての評価は”健闘”

そして、事業としての評価については、以下のように述べられています。

『・・・分譲は同年(昭和11年)から翌12年春にかけて、およそ半分の区画を売却または賃貸として消化したが、好況とはいえなかった当時としては、”健闘”したといえよう。』

以上から受ける印象は、東武鉄道社史における常盤台住宅地の再評価は、主として街づくりの観点からであるということです。そして、それは越沢明氏の著書「東京都市計画物語」(日本評論社、1991)、同「東京の都市計画」(岩波新書、1991)に重なります。つまり、戦時体制に突入する中での宅地開発分譲として、事業としては期待するほどの結果は出せなかったが、私鉄会社としての街づくり、沿線開発事業としては評価を得た、一定の成果をあげた、というものです。

常盤台住宅地開発がもたらした有形・無形のはかりしれない価値

しかしながら、企業の社会的貢献(CSR: Corporate Social Responsibility)、ESG(環境・社会・ガバナンス: Environment, Society, Governance)の重要性が叫ばれる今日、初代根津東武鉄道が開発した、常盤台住宅地は当時の単なる事業的収益の多寡を超えて大いなる価値を生み出したと言えるでしょう。

それは、常盤台住宅地が持つ質的・量的に勝れた優美なアーバンデザインがもたらす有形・無形の価値なのです。都市化の弊害、地価高騰によりかつての景観が失われていくということを危惧し、今後の街づくりはどうあるべきか考える住民やその他多くの人々がいます。それこそが常盤台という街の魅力を表していると言えるでしょう。

もちろん、経済的・社会的・技術的諸条件、人々のライフスタイル、価値観の多様化などにより街づくりのあり方も変化するでしょう。世代が変化するように生活する場である住宅地のあり方もまた変化するものです。

かつての姿をそのまま残すということは現実的ではありませんし、また適切なことでもありません。重要なのは、諸条件が変化する中で、常盤台住宅地の本質的な魅力を見極め、それをいかに守り、また高めるか、ということです。常盤台住宅地に関する本シリーズも、常盤台住宅地の開発の経緯、歴史、先人の功績、足跡を踏まえて今後、どのように街づくりをしていくべきか、常盤台住宅地の魅力を維持し、高めるかを考え、行動するためのものです。

期待される120年史での再々評価

人々に愛される街をつくったということ、この大いなる価値こそ東武鉄道が120年史、また将来の150年史、200年史につづるべきではないかと思います。そのような再々評価がされることを期待します。

常盤台住宅地の開発分譲時の特徴については、拙稿「常盤台住宅地を特徴づけた分譲時の決定的要因」を参照いただきたいと思います。

[1] 東武鉄道株式会社、東武鉄道年史編纂事務局 昭和39(1964)年3月
[2] 東武鉄道株式会社、東武鉄道社史編纂室 平成10(1998)年9月

2018/4/30

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