アナリスト出門甚一の冒険 学生生活 (1)

学生時代(1)

その日、出門は京南大学の経済学部の午前の経済原論の授業にでようと思った。授業に出る前、横東線の吉日駅の喫茶店に立ち寄った。授業はあと10分というところだ。そこへクラスメートである京南大学の付属女子高出身の秀才島田紀子が足早に通りかかった。紀子は従業の10分前にもかかわらず、ゆうゆうとコーヒーを飲む出門に「もうすぐ授業よ、何やってるの」といわんばかりの表情を見せた。出門は、「秀才女子が授業ギリギリとはめずらしい」と声をかけようと思ったがやめた。もちろん気恥ずかしいからだ。

出門は、この何か、学生だけに許された時間、空間の自由な空気が好きだった。大学生活というのは、校則に縛られ、良い意味でも悪い意味でもお互いをある程度知り合った、いわば村社会といもいって良い高校時代と違った、気ままさがあった。学問にはげむもよし、スポートにはげむもよし、サークル活動にはげむもよし、趣味にふけるもよし、自分の世界にふけるもよし。ある種のルールに縛られた中学高校と、組織の論理で動く企業社会のはざまにある自由な時間と空間に思えた。しかし、それは同時に、根無し草のように浮遊するだけになってしまう危うさを伴っていた。出門は学問にはげむわけでもなく、スポーツにはげむわけでもなく、自由に、それは逆に自己を律するある種の意志が必要なことを後で知るわけだが、ただまんぜんと気ままに過ごしていたと言ってよい。

クラスメートは、大きくわけて進学校から入学したもの、付属高校から進学したものにわけられた。出門のように一貫教育の私立校からあえて京南大学に進学した人間は珍しかった。出門は、偏差値で優劣が決まる世界とは違って、戦前には貴族とか、いわばお家柄の良い家庭の子弟が集まる学校の出身であった。それは、学友院という。ただ、出門の家は、元華族だとか、大名家一族だとか、名家出身という家ではなかった。親からの話では、京都と伊勢神宮を結ぶ旧街道にある三重県の今は津市となったが、以前は安芸郡芸濃町中縄に古くからある家と聞かされるだけで、普通の家である。出門は、その中で、何か自分は異邦人のように感じていた。それは間違っているかもしれないが、いわばお坊ちゃまが集まった、競争社会からはある種、隔離されたような世界であった。それが、出門が学友院を出た理由である。

つまり、出門が学友院から京南大学経済学部に受験したのは、学友院にあって居心地の悪さを感じていたからである。京南大学経済学部は、間違っているかもしれないが、いわば俗社会といってよい世界だった。そして俗社会の学である経済学について一定の評価を得ていた。私立文科系でありながら入試に数学を必修科目としている点に特徴があった。出門は、高等数学に興味はなく、また得意でもなかったが、物事を数字に変換してみることが子供のころから好きだったように思う。

東大を受験しなかった理由は、もちろんそれだけの力がなかったからである。付け加えるならば、負け惜しみになるかもしれないが、そこに入学するために必要な過酷な受験勉強、労力、時間を費やすことに意義を感じなかったからでもある。もちろん、東大に入る連中には、そんな受験勉強は苦でもなんでもなく、むしろ楽しいのだろう。戦前には学友院には大学はなく、東大へは内部進学できたようである。今はそんなことが許されるわけがなかった。

 

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